音楽映画の代表ともいえるクラシックの映画の肝心なやつを観ていないことに気づきました。
Je pensais que le talent et la vie personnelle de cette personne étaient différents.
I thought that person’s talent and personal life were different.
アマデウスってどういう意味?
モーツァルトの本名はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトというらしいですが、ほんとの本名はもっと長くてその一部をラテン語に変えたのが「アマデウス」というミドルネームのようです。
モーツァルトが作曲家の中でも風変わりな人物だったことはわりと有名です。
他にもそういう変人だとかの噂のある作曲家は多いですけどね。サティとか。
そのモーツァルトのエキセントリックな性格と人生を、同時代に活躍したライバル的存在と言われているサリエリの嫉妬の視点から描いていることで有名な1984年の映画 アマデウス 。
ロココなエイティーズ
絵的な印象として思ったのは、まずロココ調のパステルカラーの衣装や室内装飾が目を惹きます。が!そこに確かに80年代のケバケバしい光り物感が存在するということです。
舞台は18世紀でもやっぱりエイティーズの映画なんですねぇ。
モーツァルトのカツラも時折ピンクだったりちょっぴりパンキッシュに見えます。
この映画のモーツァルト、終始屈託がなくてミッキーマウスみたいに「ハハハッ」と笑う癖があるのですが、実際のモーツァルトはどうだったんでしょうねぇ。すごい不潔だったとかいう言い伝えもありますけど。昔の人すぎて想像で補うしかないですね。
嫉妬に狂うサリエリ
アントニオ・サリエリ(Antonio Salieri)はそのモーツァルトを採用する立場の人間だったようです。
結婚して子供も生まれるのでなんとか常勤の職を探していたモーツァルトは音楽院の教職に応募します。
サリエリがモーツァルトの書いた譜面を見ているうちに楽譜の束を全て床に落とすほどそれまでに感じたことのないような感動と賞賛と嫉妬と嫌悪感の入り混じった表情に変わっていくところ、そのサリエリを演じたF・マーリー・エイブラハム(F. Murray Abraham)の強烈な演技が見ものです。
「五線紙に閉じ込められた小さな音符の彼方に、私は至上の美を見た」
表情だけでその煩雑極まる感情を表現していて、そのシーンを見ているだけでサリエリに移入できてしまいます。
実際はサリエリという人物はモーツァルトに嫉妬していたわけでも取り立ててライバル関係であったわけでもないという説が有力のようです。
自分がサリエリだったら勝手に嫉妬とかライバル視とか噂立てられて映画にまでされたら怒り狂って訴えたいところですけど、300年くらい経っていますからもう何でもありですね。本人たちもとっくに死んでますし著作権もないし。
東京オリンピック
そしてこの映画を観ている最中、私の脳内には昨年の夏に世間を騒がせたある事件のことがよぎるようになったのです。
昨年の7月は東京オリンピックが予定されていたのですが、コロナの件で開会式の企画もやり直しになり、作曲家や演出家もすべて新しく選ばれるという事態に陥りました。
その中で作曲担当候補として唐突に名前が出されたのがコーネリアスこと小山田圭吾です。
彼を候補に選んだ人が渡辺直美に対する容姿侮蔑の件で話題になっていたのですが、今度はこのことでまた問題が炎上してしまいました。
その理由が、27年ほど前の音楽雑誌に小山田圭吾が障碍者に対する暴力的ないじめや非人道的な発言をしたと自慢しているようなインタビューが載せられていたことなのです。
この件に関しては実にネット黎明期からネットの世界では有名であり、あまりに頻繁に目にするのでもはや存在感がなくなりつつある事例だったと思います。
それがオリンピックをきっかけに一夜にして大手新聞のトップを飾るほどのニュースになってしまったのです。
アッコにおまかせのような昼間のテレビでも有名人が次々とコメントを出したりする事態になりました。
このいじめの記事を初めて目にした人達も多いようで、大変ショックだった人もいるようでした。


私は何を隠そうリアルタイムでそのクイックジャパンを書店で立ち読みした人間ですので(ロキノンのほうは読んでなかったんですけど)、その頃の一部カルチャーがやはりちょっと正常ではない部分があったのかなと思いました。
そしてその当時、深夜にラジオを聴いていたらコーネリアスの新譜が発売されたというナレーションがあり、「コーネリアスの小山田圭吾さんの誕生日はあのモーツァルトと同じ1月27日!」と言っていたのです。
たかが誕生日が一緒なだけで何勘違いしてんだと誰に対してでもなくぼんやりと思っていたのですが、今回アマデウスを観てそんなことがあったなーと思い出しました。
アマデウスことモーツァルトとコーネリアスこと小山田圭吾の共通点は何か?
カツラを被っている(らしい)?
違いますね。
それは作品に対する非常に高い評価を受けながらも人格面では徹底的に非難されているというところでしょう。(モーツァルトの場合は言い伝えからの憶測ですけどね)
才能と人格と私生活
こないだYouTubeでひろゆきが「山中教授がips細胞を発見したことと、山中教授の人生が幸せかどうかっていうのは関係ないと思う」という意見を言っていてハッとしました。
ひろゆきの発言はざっくりとしたものが多くていまいち腑に落ちないものが多いんですけどたまに共感できるものがあります。
「なんの業績も残せずただ平凡に生きていることに意味があるのか」みたいな質問に対してだったんですけどね。
「あなたがやっていることには確かに何の意味もないですよ。きっとそのまま何の意味もないまま死んでいくのです。しかし・・・」という流れでした。
ひろゆき曰く、天才といわれるホーキンス博士は家では妻から暴力を受けており、知名度や表舞台の華々しい活躍とは裏腹に非常にみじめで冴えない私生活を送っていたというのです。
人が仕事などで何らかの才能を発揮したこととその人の人生の充実度はまた別だという意見を斬新な視点から聞いたような気になりました。
そこで私は昨年散々問題にされた小山田圭吾のいじめ行為と才能の関連性、モーツァルトの奇行と才能の関連性についても巡らせました。
しかしですね、私は当時の小山田圭吾に関しては本人の言う通り若気の至りでキャラクターを変えようといきがっていたのだと思いますし、そもそも小山田の場合はモーツァルトのような天然天才とは違って気質的には引用、コラージュ的な度合いが高いです。
悪い言い方をすれば元祖パクリの天才かな。
でも、もんの凄いレベルの天才です。
物を見抜く天賦の才が半端じゃないということです。
それだけに他人に対して観察眼が高いのかもしれませんね。
障碍者に執着していたところも、人間に対しての関心が高かったのだと思います。


私はコーネリアスのアルバム「69⚡96」がとにかく大好きで、その前の「THE FIRST QUESTION AWARD」も聴いてみたらハマりました。

ピンクビニールジャケットの「69⚡96」は今思うとかなりHMHR色の強いアルバムで、小山田本人がまさに鬼畜系なキャラクターをアピールしていた時期だったなぁと思います。

音楽的には「FANTAZMA」までは好きでしたね~。ファンタズマの中にはバッハを引用した「2010」という曲もあります。この曲の終わりに「ブラーボ!」という声が入るのですが、このアマデウスの映画でもそっくりな掛け声があったので、えっひょっとしたらこの映画からサンプリングしたかな⁈なんて思っちゃいました。
映画を盛り上げるオーケストラによる壮大なサントラ
アマデウスのオープニングは交響曲第25番第一楽章です。
初っ端からドラマチックなオーケストラが大音量でガッツリかかるので興奮します。
物語は精神病院にいるサリエリがモーツァルトを初めて見た時を語る回想シーンから始まっていきます。
モーツァルトことアマデウスを演じたトム・ハルス (Tom Hulce)は吹き替えなしでピアノ演奏シーンを演じたそうですね。
たとえばよその家の犬を音で調教してしまうシーンではconcert for piano and orchestraを軽快に弾きこなしていました。
手元だけでなく全身を映しているところが吹き替えでないことを間違いなく証明していますね!
全体にモーツァルトが作曲したクラシック音楽をイギリスの指揮者・バイオリニストの ネヴィル・マリナー(Sir Neville Marriner) がサントラ制作し、アカデミー室内管弦楽団が演奏したものが中心になっているサントラです。
やはり音楽映画好きなら元祖ミュージシャン映画として絶対に観ておかなければいけない一本だと思いました。

アマデウス AMADEUS
1984年 アメリカ 160分
監督 ミロス・フォアマン
キャスト
F・マーリー・エイブラハム(アントニオ・サリエリ)、トム・ハルス(ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト)、エリザベス・ベリッジ(コンスタンツェ・モーツァルト)、ジェフリー・ジョーンズ(皇帝ヨーゼフ二世)、シンシア・ニクソン(ロール)
内容(あらすじ)
楽聖・ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの半生を、彼と共に生きた宮廷音楽家サリエリの嫉妬の視点から描き出す。
