ソフィア・コッポラへの批判
ソフィア・コッポラ監督の「マリー・アントワネット」が公開されたのはもう15年くらい前ですが、最近改めて観てみました。
当時よく見られた批評として、ストーリーにメリハリがなくダラダラと単調だ、女性監督は筋に関係ない余計な描写を持ち込んで横道に逸れてしまうことが多く映画を撮るのには向いていないのでは、などの意見がありました。
同監督による1999年の「ヴァージン・スーサイズ」と絡めてそのような批判されていることも多かったです。
女性監督云々の意見は今思うと笑っちゃいますけどね。
私も公開当時は映画としてはまとまりのない駄作だと思い込んでいました。
主演のキルスティン・ダンストも全くマリー・アントワネットという感じがしませんし、妙にオシャレ系のコスプレというか、全体的になんだか歴史物の匂いがまるで感じられません。
王妃ではなく女の子を描いた映画
しかし今になり観直して気づいたのは、これは“ガール”としてのマリー・アントワネットをテーマとしたイメージ写真集のような映画なのだということです。
つまり監督はマリー・アントワネットという人そのものというより「女の子の心象風景」を描きたかったのではないかと思うのです。
ガーリー写真家とも呼ばれる監督が、マリー・アントワネットの女性としての人生の部分に焦点を絞り、それを軸として見た世界がフォトアルバム的に描かれていることに気づきました。
なので、歴史映画として捉えるのは間違っているなと感じたのです。
この作品はビジュアル的には非の打ち所がないと言ってもいいほどですよね。
私の好みではないんですけど、今のFrancfrancなどの商品に多いテイストにつながる色彩路線を打ち立てたんじゃないかとすら思います。
マリー・アントワネットに関する記事には必ずといっていいほど、それ以外でも様々なところでこの映画の写真が使われているのをいまだに見かけます。
アントワネットはいつの時代も女性に非常に人気のある人物なので、女の子イメージ映画としてのモチーフにはぴったりだったのだと思います。
処刑されるところまで描かなかったのも、史実を忠実に追った歴史映画ではなく、あくまで内面的な世界観の作品だからなのかなと思いました。
なので、ふわふわして物語の筋にメリハリがない、歴史に忠実じゃないなどの評価は逆に的外れだったのではないかと思います。
かなり年月が経ってから映画を観直してみると、当時とはまるで違った感想を抱くことがあったり、全く違う作品のように思えたりすることが不思議で面白いです。